一つ前の記事に、追伸。
文章を少し膨らませました。
今日は久しぶりに稽古がお休みだ(私だけですが)
と思ったら夜更かししてしまった。
さて。デモに行くか。
地中のマグマは大地を動かす。
爽快な人達だなあ、と本当に羨ましい。
彼らと出逢ってからというもの、自分の年齢や、歩んで来た道について振り返ることが多くなった。何回か前の記事にも書いた四人の若い友人のうちの、三人が所属する<SASPL>が懸命に準備をしてきた大規模デモが、今日10/25に行われる。SNS、携帯電話、パソコン、人力、手段も機械も何もかも、使えるものを全部使って、彼らはとんでもないスピードで多種多様な人々の目を集め、ファッショナブルな抵抗の形を呈示してみせながら闊歩している。
THE WAY OF THE SPL ~5分でわかる特定秘密保護法~ - YouTube
すげえなあ!と、傍らで見ていると、溜息ばかり出て来る。いちいちいろんなことに疑問を感じ、立ち止まって考えてしまう習性のある私には、絶対に出来ることじゃない。志は同じでも、方法の鮮やかさと言ったら敵うものじゃない。
世界が変わる為にはいろんな工夫が必要で、自分も随分あれこれと試してきたつもりだったけれども、大きな動きにはならないうちに無駄に力を使い過ぎては倒れ、また走っては倒れ、気付いたら40手前を迎えてしまった。
「ああ、若いっていいなあ」と、大人達が永遠に繰り返すお決まりの台詞を、いよいよ本気で使い始めた自分に、自分でびっくりを隠せない。本当に、すごい人々なのだ。
特定秘密保護法案を巡る昨年の抗いの中で、私は彼らと出逢った。
これは何かがおかしい。とにかくもっとみんなで話をしたい。
そう声を上げた人達がこの国の中にも大勢いて、大きな熱量となり、私も苦手なりにTwitter Facebookを駆使して、もっとニュートラルな情報を得ようとしたし、繋がろうともした。けれども集中力が高くなりすぎて、そのことによって多くの感情や情報がみるみるうちに体に流れ込んできて収集がつかなくなってきて
そういう自分に警戒警報を出し始めたのは、あの頃だった。
これでいいんだろうか。
自分に疑いを持ち始めると、私は無意識にある人の元へ向かう。
その人の仕事場は東京の隅にあるのだが、建っているのは小さな一軒の丸太小屋で、伸ばしっぱなしの庭の樹々達はぐんぐんと天を目指し、17年間の間に小さな森のようになってしまった。世界がどんなに荒れようともその場所に流れる時間はゆるやかだ。
なんの約束もなしに、私はチャイムを鳴らす。
ドアが開く時もあれば、静寂が佇んで動かぬ時もある。
親よりも歳の離れたその人は一瞬にして私の今を読む。
「インターネットなんかやるからですよ。」
彼は溜息をつきながら、お茶を入れてくれた。
手がかじかんでいたからきっと冬のことだったと思う。
ちゃんと、唄を歌いなさい。
あなたはいろんなことに気を遣い過ぎる。
焦らない日はない。けれども、私の体には限りがある。
私には私の仕事があり、出逢う方法があって
だから、目を閉じて、息を深く吸い込み
しっかりと叫ぶしかない。
そう云い聞かせる。
今は、もうすぐ本番を迎える舞台の稽古をしている。
唄も歌うし、久しぶりに芝居もする。
若い友人達が国家に物申している時に、うんこだ、ふるちん踊りだ、
と、小学生の男子が大喜びしそうな台詞で
わあわあ芝居をしている年季の入った仲間達を見つめていると
膝を抱えて大笑いしながら、涙がこぼれそうになる。
『十二夜より十三夜』 と題名を変えて今生まれ変わろうとしているこの芝居は、大元にシェイクスピアの『十二夜』を、そのまたシェイクスピアを独自の解釈を交えて脚本化した、<発見の会>というアングラ劇団の『十二夜』をベースにしている。
1983年。
まだ、韓国に日本の文化が入ることをほとんど赦されていなかった頃、<発見の会>は、この『十二夜』を持って韓国に向かった。国の統制下で文化活動を行っていた韓国の演劇人にとって、「誰から給料をもらうわけでもないのに、バイトしながら必死に芝居やってるひと達」の存在そのものが、大いなる革命であり憧れであったという。
ところが演劇史上、最初に韓国に芝居を持ち込んだのは、つかこうへいさん達だ。
ということになっているらしい。
「僕らがアングラ過ぎて、誰の目にも留まらなかったんだと思う」と、現在の共演者である<発見の会>の志士達は、笑う。
31年の年月が経った今も、韓国と日本の間には深く軋みが横たわる。
けれどその時彼らが踏んだ一歩はきっとどこかで誰かの心の中に刻まれ、
次の一歩に変わっている。
「僕は31年前に<発見の会>の『十二夜』を観て、金玉をぶち抜かれまして」
いつの日にか公演をと願い続けた、不破大輔氏。
その元に集まった戦士達。
破天荒な試みを前に、それぞれがすっちゃかめっちゃかになりながら
笑いの絶えない現場である。
私は、私の言葉と格闘中。
今日は台本とアコーディオンを抱えて
みんなのDEMOに行ってきます。
静かに 静かに 厳かに
地中のマグマは大地を動かす。
改めまして。『十二夜より十三夜』いよいよ稽古開始!
数日前に、今のあれこれをほんの少し書き始めて公開をしたものの、私は、おもしろい!と思っていることが、「言語化すると不安になるでしょ!」という人もいて、しぶしぶ文章を蔵にしまいました。私もそうですが、本当の魔法を形にしようとすると、どうしても周りに無茶を強いることが多いし、それは大概首謀者にしか見えない地図に描かれているので、乗組員は皆、最後の最後まで、おろおろしながらやせたり反対にものすごく太ったりします。
当の私はといえば、これはどうなるんだといつだって胃が痛くなりながら綱を渡っていて、「ああ。ここでふと右に重心をずらしたら、転落するんだろうなあ。」と、ぼんやり思いながら、やめればいいのに空中回転をしてしまったり、そうして落っこちそうになりながら、ぎりぎり親指着地
というような人生そのものが宝物だと思いながら歩いて今日に至るので、
随分、運をコントロール出来る技を身につけました。
スリル満点です。
天草の御所浦島、というところに23歳で住み込んだ時。就いた仕事は「熊本県緊急雇用対策臨時職員枠」の「御所浦白亜紀資料館勤務臨時職員」だったのですが、自分では「緊急雇用対策臨時職員」という、まるで消防士さんのような肩書きが、なんて自分にぴったりなネーミングなんだろうと大層気に入っておりました。
一体自分はどんな人間なのか。ということをまだ模索していたあの頃、「緊急雇用対策臨時職員」の10文字熟語から教えてもらった運命は、今も私と連れ立っておかしな仕事や仲間達の元へと導いてくれます。
渋さ知らズと出逢って、ようやく一年。
「まるで100年前からいるように、そこに居てください。」
と、リーダーの不破大輔さんからにこにこと言われ、昨年、
KAAT 神奈川芸術劇場 での公演にゲストヴォーカリストとして出演をし、その翌日からメンバーになった私は、言葉の通り100年前から一緒に旅をしているかのごとく、みんなと共に七転八倒中。台詞の覚え方なんて忘れちゃったよう!大丈夫か玉井!
さあて、今度の魔法はどうなることやら?
というわけで、稽古に行って来ます。何人来るのかなあ。あははははー
渋さ知らズオーケストラ - ナーダム @ 頂2014 - YouTube
革命家達
グッドデザイン賞受賞のお知らせ
グッドデザイン賞受賞展
『グッドデザインエキシビション
日時:10月31日(金)〜 11月4日(火) 11:00 - 20:00(最終日18:00終
会場:東京ミッドタウン(東京都
主催:公益財団法人日本デザイン
グッドデザイン賞詳細↓
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エキシビション詳細は以下のUR
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「生きている間は、生きていなきゃならない。」
熊本に住んでいる高校一年生の友人から連絡があり、急いで空を見上げた。