White Elephant

音楽の旅プロジェクト『White Elephant』の記録。

花も風も街もみんな同じ

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11月21日の午後、ウタウタイの大藪さんが亡くなった。横浜は寿町で出逢った、私の大事な音楽仲間だった。その晩、いつもは読者もそう多くないこのブログのカウンターが突然1500人を越えたので、やっぱり人の魂が一つ飛んで行くと何か動くのだろうか・・・と驚いていたら、数人の友人達から「久しぶりに観たよ!」と連絡が入った。ちょうど金曜ロードショーで『千と千尋の神隠し』が放映されていたんだったっけと思い出して、納得した。送り火のようである。

数週間前、意識不明の緊急治療中と聞き、『十二夜より十三夜』の稽古の合間、御見舞いに行こうと病院に連絡をしたところ「ご家族以外はご面会出来ません。」と門前払いを食った。症状を聞いても、それもお答え出来ません、と申し訳なさそうに電話越しの交換手が告げるばかりだったが、それだけで、これはとても良くない状況にあるということは充分伝わった。

「どうしよう。大藪さん、お芝居をしている間に死んじゃうかもしれない。」と塞ぐ私に母は、あなたがしっかり歌っていれば大丈夫。きっと届くわよ。と送り出した。

訃報は、そうして千秋楽を無事に迎え一週間が経ったつい数日前のことである。


大藪さんと出逢ったのは、2010年の早春。友人のアーティスト・加藤笑平に、「パフォーマンスやるから来いよ」と呼ばれて初めて〈寿町〉という町を知り、訪れた。

雨のそぼ降る日曜日。

ドヤ街 と呼ばれるそこに、私は恐る恐る入っていった。第二次世界大戦後。日雇い労働者達の簡易宿として生まれた性質上、ひしめく共同住居の窓は皆一畳分の幅しかなく、風と、道路を時折走るトラックの振動でぴしぴしと震えていた。

静けさの中にも何やら緊張感が漲る街路を歩き、両脇に林立するドヤとドヤを抜けていった先の建物の一角で、大藪さんは歌っていた。それは、別れたお嫁さんと息子に会いたいなあ。という自作の歌だった。

声もギターも調子っぱずれで、かろうじてメロディーを追えるくらい曖昧な形。『終わりのない季節』と曲名を付けられたその歌の向こうにはけれどもとても具体的な生活の匂いが立ち込め、初めて出逢ったばかりの私の内側に彼の命の輪郭を浮かび上がらせて、ふっと消えた。歌い終わって聞こえてきた雨音の中、大藪さんははにかんでお辞儀をした。その場にいた観客達の拍手が、彼を包みこんでいた。

それから三年が経った去年の冬。私は、加藤笑平からバトンを渡され、『寿合宿』という同じアートプロジェクトのメンバーとして参加、寿の街に住み込んで歌を作ることになった。いつか大藪さんと一緒に歌いたい。という願いをずっと持っていた私は、そのバトンを一もニもなく、受け取った。


続く。