White Elephant

音楽の旅プロジェクト『White Elephant』の記録。

とにかく芝居は無事に済んで、めでたしめでたし。

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舞台が終わった。たくさん眠って起きたら、豆苗が大きく育っていた。もらってからまだ10日くらいしか経っていないのに、10センチは伸びたろうか。

劇場入り直前。稽古場を出る前の一斉掃除の日、豆苗は白い発砲トレイに入って水に浸してもらいながら、流し場傍の窓辺で日を受けていた。隣には人参の葉と、私がもらったのに水やりを怠っていたビオラの株もあり、はっとして、これは持って行くのかな・・・と呟いたらすぐさま「どうせ誰も育てないんだから捨てる。」と、稽古場管理人を務めていた女優・南波トモコさんが言い放ったので、彼女が流しを離れた隙に、三つの苗をそっとビニール袋に入れた。気付いた南波さんが、なにするの?と強い眼差しを向けたので、ええと、お、おばあちゃんにあげます。と答えて持ち帰った。稽古中、代わる代わる料理当番が腕を奮って炊き出しが行われていたのだが、そのある日登場した豆苗炒めの後、葉を切り取られた根に、置き去りになった花に、南波さんは水をやり続けていたのだと思う。そのことへのありがとうもごめんなさいも伝える隙がなかったので、せめてそのまま育てよう。と、決めた。なのに私ときたら、怒濤の稽古本番の中で再びその存在を忘れた。しまった、まただ、と慌てて窓辺をみやったら、豆苗は天に向かって伸びている最中だった。「あたしが育ててあげたわよ。」自慢げに母。私は本当に駄目人間である。

 

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芝居の現場に入ったのは、2011年のNODAMAP『南へ』以来。考えてみれば二十歳以降、演劇への参加は、座組があってそこに仕事で召還されるという形のものばかりだったので、何から何まで当たり前のように自分達の手で構築し、揃え、掃除やごはんまで行う。ということには全く慣れておらず、無意識にあぐらをかいてしまった部分が多かった。それに引き換え、渋さ知らズ・風煉ダンス・発見の会の皆さんの自主性は春風のように心地よく、そこに力が必要だと思えば必ず誰かがすっと動いて、誰かが誰かを支え合っていた。

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前提にあまり縛られず、その場ごとの空気を汲み取って動けるようになってきたのは、自分の潔癖さが嫌いで、二十年かけてやっと変化をさせた末の力でありつつも、出来ればスムーズに物事が動くような適材適所のチーム編成が心地よいなと思ってしまう私にとって、効率の良さに必ずしも繋がらない、はっきりとした分業体制のない『渋さ知らズ』劇団に生息する場合、それにはそれなりの特殊な動き方があるということに慣れるには、少し時間がかかりました。自分の経験の中で一番近い形は、祭りごとに集う地方自治体の青年団だろうか。法律ではなく、約束と思いやりによって、人と人とが繋がる場所。「これはもうバンドじゃない。法事だ」という説すら出ている。その中に、たかだか一年前に流れ着いた私が馴染むのは並大抵のことではないはずなのですが、今回の劇団構成メンバーは役者さん、ミュージシャン共に皆さん全員と共演をしていたお陰で、なんとか最後迄『渋さ知らズ』芝居を泳ぎ切ることが出来ました。

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「役者はもうやりません。」と何度もお断りしたのは、私が不器用で、言葉をうまく覚えることも出来ず、又、その役をやってくれ、と言われるとその途端から自分の性格や生活が自然と変化をして、人生と物語が混濁する傾向があるので、大元が分からなくなって辛いからなのだけれど、『十二夜』という物語で双子を演じることには以前から深い興味があったので、不安もありつつ、お引き受けすることにしました。

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遡れば昨年末、江古田バディというライブハウスで渋さ知らズの年納めライブがあり、そこで御依頼頂いて以降ずっと、ぼんやりとしながらも、ビオラとセバスチャンという兄妹の体を探しながら生きていたのだと思う。そして途中、やはりどれが自分でどれが彼らの意識なのか分からないこともありながら、更に自分の過去を遡って映画も作ったりするという、本当によくわからない一年間だったが、そういう全てをゼロ地点に戻してくれるのはいつも、自分の更なる無意識から生まれて来る唄達と声だった。

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「女性そのままの妹・ビオラと、しかし生きる為に偽って男を演じる彼女と、男そのものの兄・セバスチャン」という三つの体を一つで表現しつつ、愛し、愛されること、また更に今回は、「1600年代初頭。嵐で船が難破し、(琉球を彷彿とさせる)おかしな島に流れ着いた双子の妹・ビオラは<『十二夜』を演じたことのある、「エリザベス女王」付きの役者>で、オリービア姫役を演じていたこともある。」という複雑な設定もあり、進めば進む程、自分がどこに在るのか分からなくなった。更に、「渋さ知らズという不思議な場所に馴染む」という実質上のハードルもあり、体というよりは、脳味噌がパンクしそうになって、他のことが何も出来なくなり、だんだんに、本当は緩やかに解放されていなければならない心そのものが動かなくなった。とはいえ、幕は開くのだし、私がしっかり芯を貫かなければ物語は観客の心に届かない。

どうしたものかと頭を抱えていたある日、当時の演出担当だった河内哲二郎さんから(演出は、時期によってバトンタッチが行われた。)「妹のビオラが、双子のお兄さんと間違えられて感激するシーンがあるでしょう。あそこの長い台詞の後に、その気持ちが一つ唄に変わって、そのまま歌うというのはどうですか?」と提案があり、なるほどそれは良いアイディアですね。と、久しぶりにピアノと向き合ったその晩生まれてきた新しい曲に、私はようやく本質を取り戻した。

 

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<Brother>

波間に消えた星はあなた

不安に揺れる時も照らしてくれた

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一体何を困っていたんだろうか。自分が分からなくなった時は、唄を探せばよい。

 

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数人体制の演出家集団と、数人体制の脚本家。

あちこちから飛んでくる様々な意見と、自分の感覚とスピード。

少ない稽古日程から割り出した、本番迄の逆算。

 

いろんな並みならぬ現場を踏んできたものの、これはもう、人生史上最大級に意味が不明だなあ。と毎日笑いながら、不安は何故か本当に少しもなく、 最終的に舞台では「全部忘れる」ことにした。

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 芝居の現場において稽古は「忘れる」為の準備だ。「忘れる」為に私達は繰り返し台詞を体に叩き込み、相手とのキャッチボールを試し合う。そして全部を忘れ板の上に立つことが出来た時、役者は本当に「生きる」ことが出来る。それは、自分と仲間を心底信じられた時に初めて赦される。

忘れる。といっても、言葉の通りではもちろんない。台詞は見えない線路となっていつ何時も私達を導いてくれる。ただ辿り着きたいのは、言葉がそこにあったようにではなく、必然の中で、今まさに生まれて来たように放つことである。

 

物語も詩も書きながら歩いてきた私にとって、言葉を紡ぐことの難しさと労力は全くもって他人事ではない。たった一つの接続詞について何日も延々悩み続けて、今この瞬間でさえこれはどうしようと思っていたりする。こと今回の芝居は、新旧の詩人と小説家の言葉が同じ舞台の上で交錯をするという試み上、言葉を扱う者達に対する責任は大きかった。私も当初は自分の台詞を自分で書き換えるという身に余る使命を授かったのだが、他の役は台詞改変の執筆者が作家、しかも大変才能のある方々であるのに対し、私は一介の、しかも役者であったので、その場合、最終的に生きた言葉と出逢うことが出来るとしたら、恐らく舞台上でしかないと思います、とほぼ岩田宏さん原訳の台詞のままを覚え、極力それそのものを発する努力をし、それでも結果、現場で変化してしまった言葉を書き起こす手法はどうでしょう?という提案をした。

勃発する様々の問題の中において、私の台詞改変問題は優先順位の低い議題に変わってしまったのか、いつの間にか誰からも指摘をされなくなったけれど、実際のところは、釈然としていない演出及び作家陣がいたに違いないと思っている。シェイクスピア岩田宏氏の言葉に対して、私は、きちんと対峙するに値する力で拮抗出来ていなかった。懸命ではあったが、とにかく間に合わせなくちゃというばたばたの中で、敬意の殆どを置き去りにしてしまった。大変申し訳なかったという想いでいっぱいである。

「お好きにどうぞ」とは、シェイクスピア本人の言葉であり、岩田さんからのメッセージであったけれど、本来、そのことを始めとする台詞についての話し合いはもっと丁寧に、諦めずに、時間をかけて交わされるべきことだったのではないか。それは舞台が終わったからといって、そのままにしておいていいことでは、きっとない。

 

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過ぎてみれば、あっという間の一年だった。

 

「志ばかり高くて最後に破綻する癖は、子どもの頃から変わらないね。」と、父にいつも笑われるのだが、それは私に限ったことじゃない。志の低い冒険程、挑む価値のないものはない。

 

何かが生まれる時、そこには必ず訳が在る。

 

どうしてその曲が生まれたの?

何故その映画を作らなければならないの?

幾度となく尋ねられ、答えに困って泣くこともあったけれど、答えは必ず自分の胸の奥で光っていた。 

 

十三夜を二度迎えた今年、『十二夜より十三夜』は生まれた。

 

「一体この芝居は、誰が、何故やりたかったのだろう?」と、主任演出家の青山健一氏が呟いた。

首謀者の不破大輔氏は、「あうるすぽっとが空いていたからです。」と言った。

 

シェイクスピア生誕450年

渋さ知らズ〉誕生25周年

〈発見の会〉発足50周年

 

千秋楽と同じ日に行われた沖縄県知事選では、翁長雄志氏が当選した。

 

旅がまた一つ終わり、豆苗は今宵もぐんぐんと伸び。

 

とにもかくにも

めでたし めでたし。

 

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